英語にするのが難しい日本語④「要件」「要求」「要望」

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それは要件だ!要求を言え!

昨年、Twitter で以下のツイートが IT界隈の人たちの間で多数のリツイートやいいねを集めていました。 日本の IT業界では、かねてより「要求」と「要件」を区別する考え方があり、それをネタにしたツイートです。

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要望、要求、要件

「要求」と「要件」の前には、さらに「要望」があり、それを含めて定義しようという試みがいくつかあります。

  1. 要望・要求・要件・仕様・制約・前提の違いは? - Qiita
  2. 要望、要求、要件の違いとか、基本設計、詳細設計の違いで迷わないようにするためのまとめ - Qiita
  3. 要望・要求定義・要件定義 | よっしーTECH
  4. 「要求」と「要件」の違い|Takashi Suda / かんた|note

定義はそれぞれ少しずつ異なるのですが、「要求」はシステムを必要としている人 (ビジネス) と実装する人 (IT) の間でまだ合意されていないもの、「要件」は合意されているものであるという点が共通しています。4. の記事は合意については明示的に書いていませんが、「要件とは機能・非機能を含めたシステムに対する実現すべき定義」という記載から、実現すべき内容について合意されているという意味も含むのではないかと思います。

一方、「要求」と「要件」を区別しない考え方もあります。例えば、情報サービス産業協会が発行している要求工学知識体系 (REBOK) では「要求」という言葉に統一しています。

要求 (Requirement) に関して,国内では,要望,要求,要件などの用語が用いられている.REBOK では,要求工学で共通に用いられている諸概念に基づき用語を要求に統一している.これによって,国内と海外で共通の用語とそれによって表現される概念を用いることができる.
要求に関して異なる用語が用いられているのは,「要求」がコンテキストに依存して定義されるためである.したがって,図1.3 に示すように,要求の形成過程 [Goguen 92] に応じて,「ステークホルダ要求」などの表現を用いることによってその意味を明確にし,形成の状態に応じた要求の表現を用いることとする.
一般社団法人 情報サービス産業協会 REBOK企画WG (編): 要求工学知識体系 第1版, (2011).

「要求」も「要件」も英語では "requirement"

私自身は、普段はあまり「要求」と「要件」を区別した使い方はしていません。所属している会社で従来から「要件」という言葉を使っていた経緯があるのと、私自身がビジネス課題を分析する活動よりも、システムを構築する活動に従事する時間の方が長いため、要件を合意するところから仕事が始まっているのが主な理由です。

もうひとつが、1. や 4. の記事にも書かれているように、英語では「要求」も「要件」も "requirement" になるためです。日本語でいくら「要求」と「要件」を区別して書いても、英語にした時に同じ "requirement" になってしまうと、その区別で意図していたところは英語の読み手には伝わりません。

少し古いですが、IEEE の用語集での "requirement" の定義を引用します。

requirement.
(1) A condition or capability needed by a user to solve a problem or achieve an objective.
(2) A condition or capability that must be met or possessed by a system or system component to satisfy a contract, standard, specification, or other formally imposed documents.
(3) A documented representation of a condition or capability as in (1) or (2).
"IEEE Standard Glossary of Software Engineering Terminology," in IEEE Std 610.12-1990 , vol., no., pp.1-84, 31 Dec. 1990, doi: 10.1109/IEEESTD.1990.101064.
(日本語訳)
1. 問題解決または目的のためにユーザーが必要とする条件や能力
2. 契約、標準、仕様、あるいは他の正式文書を遵守するために、システムやシステムコンポーネントが満たす、または保持しなければならない条件や能力
3. 1や2のような条件や能力を文書で表現したもの
Weigers, Karl E. (著), 渡部洋子 (監訳): ソフトウェア要求 顧客が望むシステムとは, 日経BPソフトプレス, (2003).

(1) は要求、(2) は要件の意味に近いのですが、 英単語としては区別されません。

なお、「要望」を英訳する場合は、"request"とするのが良いと思います。辞書だと "demand" と出てくる場合もありますが、"demand"は要望を向けた相手に対して有無を言わせないようなかなり強い表現なので、「要求」や「要件」の手前にくる時のニュアンスとは少し違います。

「要求」と「要件」を区別するなら、英語でも区別する

もし、ひとつの文書の中で「要求」と「要件」を区別して使っていて、それを英語の文書でも表したい場合は、別々の表現をする必要があります。

合意に注目する場合
  • (未合意の) 要求: unsigned requirements
  • (合意済の) 要件: signed requirements
利用者とシステムの視点に注目する場合
  • (利用者の) 要求: user requirements
  • (システムの) 要件: system requirements
仕様になっているかどうかに注目する場合
  • (仕様になっていない) 要求: unspecified requirements
  • (仕様になっている) 要件: specified requirements

いずれに注目する場合も、はじめにその文書の中で、「要求」と「要件」をそれぞれどのような意味で用いているかの定義を示し、以後一貫した表現にする必要があります。